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古い家系図が偽物かもしれない。。偽系図士、沢田源内


〇〇さんは歴史的有名な〇〇家の直系だったというような記事を一度は見かけたことがあるのではないかと思います。そのエビデンスとしてよく使われるのは家系図です。家系図を自分から遡っていくと何代目には著名な先祖がいるというような具合です。


当然報道されるような記事は信憑性の高いエビデンスがあると思いますが、家系図には実は偽物が含まれるのです。


今回の記事では偽物の家系図ができた歴史的背景について、またその業界の有名人である沢田源内という人物についてご紹介いたします。


偽物家系図の誕生

江戸時代には、家系図を偽造することが一部で流行していました。家系図は、武士にとって履歴書のようなもので、出自や家柄を示す重要な文書でした。出世を望む者たちの中には、自分の家系をより名門と見せかけるために、偽物の家系図を作成することがありました。このような偽家系図は、名家や将軍家、公家との血筋があるように見せかけるために「盛った」内容で作られていたとされています。


つまりお金さえ支払えば自分の望み通りの家系図を作成することができたのです。当時より家系図作成は決して安いものではなく、上記のような背景で作るもののためしっかりとした表装のものが多く現存します。


古い家系図だから、高級な表装だからといって本物の家系図とは断定できないのです。


偽物家系図作成者 沢田源内

特に有名な偽家系図作成者としては、沢田源内がいます。沢田源内は、江戸時代前期に活動した偽書・偽系図の製作者として知られています。元和5年(1619年)に近江国雄琴村(現在の滋賀県大津市雄琴地区周辺)で生まれ、元禄元年(1688年)に亡くなりました。

彼は、佐々木氏の正統である六角氏嫡流を称し、六角中務氏郷や六角兵部氏郷と称したことで知られています。しかし、実際には多くの偽系図や偽書を著作し、その中で六角氏の正統が六角義実・六角義秀・六角義郷、そしてその子六角氏郷(源内本人)と受け継がれたという史観を強調していました。これらの主張は後に他の史書や史料との整合性が取れず、厳しく批判されています。

源内は自らが偽の経歴を称していた経験則から、出世のために立派な系図を持つことが重要だと考え、自らの身分を高めるために偽系図を作成し、それを利用して社会的地位を得ようとしました。偽系図士となった源内は依頼者から受注を受けて、盛った内容で制作し多くが流通しました。彼の作成した偽書は広く引用され、後世の系図類や史書、縁起などに影響を及ぼしました。そのため、真実を知りたい後世の研究者にとっては、彼の偽書がもたらした混乱は非常に迷惑なものでした。


まとめ

江戸時代あたりの家系図は、現代の家系図作成においても注意が必要で、古文書などを通じて確認することが推奨されています。偽家系図は後世の歴史研究にとっても混乱を招く要因となっているため、真実を探求する際には慎重な検証が求められます。江戸時代後期には戸籍が誕生し、政府が管理したことによりほぼ正確な情報で記録することが可能になりました。

専門的な調査が難しい場合は戸籍をもとにした家系図を作成し、古い家系図があれば参考程度として組み合わせて照会することをお勧めいたします。他の記事では家系図の作り方をご紹介しておりますのでよろしければご覧くださいませ。


当社では家系図の作成サービスを提供しております。よろしければご覧くださいませ。
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